キャンパスの外にある学びを探しに!
よく学び、よく遊ぶためのWEBマガジン

201411/20

【Vol.1】自分に嘘はつけない。ついちゃいけない。

Ki-Yo(シンガーソングライター)


NOIZに贈ってくれたプライベートライブでは、曲はもちろん、素晴らしい言葉の数々も印象的だったシンガーソングライターのKi-yoさん。音楽の神にラブコールを贈るような熱いインタビューを3回に分けて余すところなくお届します!

高校生で異例のスピードデビュー

母親が音楽大好きな人だったので、僕が音楽にはまるのはごく自然なことでした。とくにスティーヴィー・ワンダーとか、黒人独特の節回しに憧れて、当時習っていたピアノを弾きながらよくマネをしていたものです。中学生からはオリジナル曲を書き始め、友だちに曲を入れたカセットテープを渡すなど、恥ずかしいこともしましたね(笑)。デモテープがレコード会社の人の目に留まったのが高校2年生のとき。それから金曜日の授業が終わったらすぐ仙台から東京へ新幹線で向かい、土日にレコーディング、そして月曜日の朝にまた新幹線で帰ってくる生活が半年間続いた。そして高校3年生のときにデビュー。これだけデビューまでの期間が短いのは異例だったようです。

大ヒットをきっかけに一変した生活

高校卒業した直後にリリースした『The Only One』がドラマの主題歌になり、それが約40万枚を売り上げるヒットに。テレビ番組に出演したり、サインを求められることが増えたり、生活が一変しました。僕はただ純粋に音楽が好きなだけなので、正直、注目を集めたりすることに戸惑いがあったのも事実です。そのまま数年間、日本で音楽活動を続けていましたが、少しずつ、自分が目指す音楽の方向と、まわりから求められる方向がずれていった。英語で「Vulnerable」と言うんですが、音楽ってどうしても“丸裸”になってしまうもの。本来の自分と違うことをしていると、それが周りにも伝わってしまう。このままでいいのか、葛藤を抱えていましたね。

自分の音楽を求めて単身、渡米

18歳のとき撮影でニューヨークを訪れたんだけど、もうサーッと気分が晴れ、「僕はここに属している!」と強く実感したのを今でも覚えています。いろいろな人種がいて、街にいたるところにストリートミュージシャンがいて。その後、数年の間にわたって何度かニューヨークを訪れたんだけど、ヴィレッジ・アンダー・グラウンドというライブハウスで、飛び入りで歌ったことがあった。確か、ホイットニー・ヒューストンの『I have nothing』。そこで日本では感じたことのないリアクションをもらいました。音楽家とか表現する人は、例外なく褒められて伸びる。僕なんてもうどんどん調子があがっちゃって。その感覚を味わったのが最後、もうこっちに来ることを決めていた。「海外で自分の音楽がやりたい」と熱意を伝えて、事務所を退社。2010年に単身で渡米しました。

Vol.2へ

(取材・文 NOIZ編集部 杉本 良子)

【Biography】

高校在学中にシングル「No No No」でデビュー。当時最高記録のパワ-プレイ全国FM17局に選ばれる。高校卒業と同時に上京し、アーティストとして本格的な活動をスタート。3rdシ ングル「The Only One」が、日本テレビ系のドラマ『Pure Soul~君が僕を忘れても~』の主題歌に起用され、40万枚のヒット。

2010年、NYに活動拠点を移す。全米最大のゴスペルイベント「Mcdonalds Gospel Festival 2010」に、40000人のオーディションを勝ち抜き、27年間の歴史上、初の日本人クワイアーのソリストとして出場。20000人 の観客の前で歌い日本人として初優勝。

2012年5月にリリースした、初の全世界同時配信デビューシングル『#1』がアマゾンジャパンのチャート3部門で1位に輝く。

その後現在までにリリースしたシングル、『Dear All My Loves』、『Spend My Life With You』『Need Somebody Tonight』も同チャート1位を記録。全編英語のアルバム”Reborn”がアマゾンチャートの、ポップ部門、ソウル/R&Bチャートで1位 を獲得。

ジャケットは、ビヨンセや、マイケルジャクソンを手がけたFuko Chubachiがアートワークを担当。

日本の学生たちとも積極的に交流し、もっと積極的に目標に向かって行くエネルギーと、情熱を持ってほしい、そして自身の海外経験、音楽活動を通して得たもの次の世代に伝えたいとの願いで、来日の際には学校を回り、講演、演奏活動を行っている。

Website: www.ki-yomusic.com


PAGE
TOP