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201503/11

留学をきっかけに、東日本大震災を考える

立教大学 コミュニティ福祉学部 (NZに派遣留学中) 江花松樹


東日本大震災の翌年、私は大学へ入学した。当時、震災と自分を結びつけることができず、外の世界ばかりに夢中で、自分を駆り立てたのは留学への憧れだった。海外で自分の力を試してみたい。そんなことばかり考えて、海外旅行や留学生との交流、英語の勉強など、興味があることはなんでもやった。そして3年生の春、努力の甲斐あって、ついにニュージーランドへの交換留学の切符を手に入れた。しかし、留学まであと数カ月というところで、あの震災と向き合う3つのきっかけがあった。

津波の最高到達地点から見渡す

被災地を訪れたからこそやらねばならないことがある

最初のきっかけは、私が通う立教大学で学ぶ留学生と、これから海外留学を予定している学生とで、岩手県陸前高田市に泊りがけで視察に行くというプログラムに参加したこと。いまだから白状すると、このときは被災地の様子を見てみたいという気持ちよりも、いろんな国籍の人と震災について考えるなんて、いかにもグローバルっぽいから行きたい! なんて気持ちの方が強かった。でも、現地に到着した途端、そんな気持ちはすぐに消えた。

もう春先だというのに肌寒く、そこにはまっさらな地に土砂を運ぶベルトコンベアと、風の音だけが響いていた。その景色を見たあとで、被災者の方に陸前高田のかつての様子を記録した写真を見せていただいた。それは現在の更地からは想像できない商店街の写真で、この土地のすべてを震災が奪ったことが端的に表された写真だった。

「ここが津波の最高到達地点です。」そういって連れて行ってもらったのは、三階建てのビルの屋上の、そのまたさらに上にある見晴らし台だった。そこで、当時被災者の方に、必死にデジカメで撮ったという津波の映像を見せてもらった。至近距離で撮影された津波は、テレビで見るよりも禍々しく、黒く、本能に訴えかけてくるような恐ろしさを持っていた。すべてを飲み込んでいく様子は、目をつぶりたくなるものだったが、不思議と目を離すことができなかった。目を離してはいけないという気持ちがあったのかもしれない。しかしその映像以上に堪えたのは、それに続いた被災者の言葉だった。

「本当はね、震災の話をするのは怖いんです。私はいまでもここに来ると足が震える。でもこの出来事を忘れないで欲しい、伝えて欲しいって思うから、いまでも私は話し続けているんです」

被災者にとって家族も住まいも、すべてを奪い去った震災は、思い出すのもつらい出来事だ。それでも彼らは伝えてくれる。次の世代が語り継いで被害を最小限に食い止めてくれるために。私たちは被災地を訪れ、この話を聞いてしまった。もう知らないでは済まされない立場になってしまったのだ。ここに来た私たちだから、やらなければいけないことがあるのだろう。

少しづつ復興が進むがまだまだ

支援をきっかけに改めて学部のアイデンティティを考える

次のきっかけは、私が所属する学部が運営する「復興支援推進室」との出会いだ。英語の授業の一環で、大学の震災復興の取り組みをインタビュー調査することになっていた私は、そのネタを探しているうちに、大学の中に自分の学部が主体となって取り組んでいる「コミュニティ福祉学部 東日本大震災復興支援推進室」があることを知った。

この支援室は震災後1カ月という早さで立ち上げられた。復興支援と聞くと、物資の支援や炊き出しなどを思い浮かべるかもしれないが、そういうことは行わない。「コミュニティ福祉学部」として求められている支援とは何か。それを考えたうえで行う支援は、地域づくり・コミュニティの活性化に軸を置いたものだった。「命の尊厳のために」を基本理念としているため、支援室は教授の専門性、ノウハウ、コネクション、そして学生の力を総動員して、この学部ならではの復興支援を展開していたのだ。

被災地には現在、若い人が少ない。お祭りの企画や参加、原発事故で避難してきた人たちと避難先の人との間に入って、軋轢を少なくすること、少子化の進む島で、子どもの勉強の手伝いや、遠足などを行うことで子供たちに自分の故郷に対する思い入れを作ってもらうこと。その活動一つひとつが、一過性ではなく継続して行っている支援であり、復興後の地域活性化を見越した活動なのだ。地域のパンフレット制作や、漁業体験で収穫したワカメを、学園祭やキャンパス付近で販売して東北と東京の大学である立教大をつなげるパイプを作る、なんて活動もある。そんな取り組みは、自分の専門をどのように社会に活かし、還元するのか、ということを考え始める大きなきっかけとなった。

「共に生きる」という支援のかたち

最後のきっかけは、立教大の西原廉太副総長と、卒業生で「東海新報」記者の鈴木英里さんが、立教大の被災地支援について考える対談に同席させていただいたことだ。お話を伺ううちに、まさに自分の通う大学が行っている支援は、大学の基本理念である「共に生きる」を軸においたものだと改めて感じた。被災者に上から手を差し伸べるような支援ではなく、共に歩むような支援。大学では震災後、毎年夏季と秋季に陸前高田へのボランティアツアーを行っており、そこで多くの学生が被災地を訪れ、現地の皆さんと交流している。

「何もしなくてもいい。ただそこに生きていてくれれば」あるとき、現地の方が学生たちにこのような言葉をかけたそうだ。私は学生の行うべきことは、この一言に集約されていると思う。学生に難しいことは求められていない。ただ、そこにいる人びとに寄り添い、共に歩く姿勢があれば、それが十分に被災地の支えになるのかもしれない。さらに、被災地での経験を自分の中にとどめるのではなく、それをきちんと第三者に「伝える」ことを重要としていることもわかった。

「伝える」――。それはまさにこれから留学へ向かう自分に最も求められていることではないだろうか。被災地に出向き、直接現地の方々の話を聞いた。そんな自分だからこそ海外でできること、逆に海外から帰ってきてからできることがあるはずだ。

さて、ここまでに書いてきた三つの「きっかけ」は、大学で英語の授業や留学生との交流などのグローバルな学びを求めていた先でたどり着いたものだった。外の世界に憧れて進んできたはずが、いつの間にか日本国内の問題に回帰していたことに私はもはや、ある種の必然性のようなものを感じていた。それは大げさにいえば、今までの一つ一つの経験という「点」が、「線」で繋がる感覚だった。国際的な観点から地域的な問題を考える、これが3年間大学に通ってようやく見つけた、自分の学びの目標だった。

こうした経験から、自分はすっかり「グローバル」よりも「ローカル」なことに興味が湧いてしまった。「グローバル」と「ローカル」は切っても切れない関係で、そもそも分けて考えることはできないんじゃないかと思いはじめた。経済や情報が世界規模になっても、結局私たちが暮らしていくのは小さな「地域」の中なのだ。だから、地域連携、地域学が盛んなこの学部にいて、なおかつ留学という環境に身を置いた自分だからこそできる貢献をしたいと考えている。

現地とつながることで現象を「自分事」とする

私の父は福島県の出身だ。幼い頃から祖父母に釣りや畑に連れて行ってもらっていたし、今でも盆と正月には帰省する、楽しい思い出がたくさんあるところだ。それでも3.11のあと、陸前高田に行くまで東北について深く考えたことはなかったし、実際に支援活動なんかもしてこなかった。3.11のニュースがテレビで大々的に流れなくなって以降、自分の中で震災というものは終わっていたのだ。

それでも、そこに人はいる。「政府は仮設住宅、仮設住宅といいますがね。いま私たちが生きている人生に、仮の時間なんてないんですよ」そう話す陸前高田の被災者の方の顔には、悲しさとも怒りともつかない、あきらめのような感情が浮かんでいた。私たちが終わったことのように、テレビで震災スペシャルを見ている間にもそこには人が生きて、困難と戦っているのだ。

でも、被災地に行ったことのない人間がその災害について語るのは難しい。きっとそれは自分ごとではないからだ。たぶんどれだけ人づてに話を聞いても、その場所に赴き、直接人と話さないと結局それは他人事になってしまう。

震災を自分事として捉えるためには、直接的な体験と、そこに暮らす人とのつながりを作ることが大切なのだと思う。「あの人がいる、あの人がそこに暮らしている」そう思える人を現地に作れば、その土地のことを想うことができるのではないだろうか。

私は外ばかりを見て「ガツガツ」していた頃の自分にちょっと嫌悪感を抱くときがある。多分そのときの私は、自分のことしか考えていなかったからだ。誰かと「共に生きる」という感覚をもっていなかった。ニュージーランドにも、福島にも、陸前高田にも、そこには人がいる。そこに生きている人がいて、そこにしかない生活を、さまざまな困難を抱えながら余儀なくされているのだ。グローバル化で世界中のことがわかる世の中だからこそ、ローカルなつながり、「共に生きる」という考え方が重要になるのではないか。だから私はただそこにいる人と、共に生きたい。彼らの命の尊厳のために。

私の行くニュージーランドは日本と同じ島国であり、数年前に大きな震災を体験している。だからといって、「こちらでの体験をむこうで大々的に伝えて、日本の代表としてニュージーランドとの架け橋に!」なんて大げさなことは考えず、あくまで謙虚に、ただそこで暮らしている人たちと共に生き、教わり、そして時には教えたい。そのうえで帰国後、自分にしかできない復興支援、地域貢献を見いだせたらいいなと思う。

(NOIZ学生編集部/江花松樹)

奇跡の一本松

編集後記

NOIZの学生編集部員として、昨年春から精力的にさまざまな活動にチャレンジしてきた松樹君。常に自分の学びを意識し、軸をしっかりと守りながら自分の言葉で発信してきた。そして2月、大きな志と使命感をもってニュージーランドへ。どんな風に成長するか帰国が楽しみです。


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